一夜の夢をみる
ついに12月21日になりました。
悪魔の手毬唄の放送日です。
前のブログで宣伝のスケールがすごい、と書きましたが、そもそも制作のスケールがすごかった。数々の遠くへのロケ、豪華絢爛という言葉が大げさではないキャスト、セットなども作り込みがすごかったようで。この一晩のドラマのためにYou Tubeに動画をUPしたり、今までにない宣伝もギリギリまで続いています。
去年の犬神家の一族はDVDになりませんでした。以前制作された稲垣吾郎さんの金田一耕助シリーズもDVDになっていないと聞いています。そうなると今回も難しいのでしょう。本当にこのたった一夜のために、信じられないほどのお金と情熱と人材が、この作品に注ぎ込まれているのです。
私は去年、加藤シゲアキさんが演じるまで、金田一耕助について、そんなに考えたことはありませんでした。考えてみれば不思議なキャラクターです。金田一耕助に匹敵するキャラクターが思いつかないんです。
風のように現れ、風のように去っていく。……それだけ聞くと何故か寅さんを思い出す私の脳。
名推理をみせる、で思い出すのは古畑任三郎。探偵じゃなくて警部補だったかな?
でもどちらも渥美清、田村正和、という圧倒的な役者が演じてこそ。他のキャスティングはあり得ません。
一方、孫と言われる金田一一。最初の堂本剛さんの印象は強いですがその後、松本潤さん、亀梨和也さん、山田涼介さんが引き継いできました。これは縦のラインを感じるのです。
じっちゃんの金田一耕助は縦にも横にも広がっているイメージ。実際、ほんの少し前に吉岡秀隆さんの八つ墓村がNHKBSで放送されました。BS難民なので見られてませんが。同じ時代に複数の役者が演じても違和感がないのです。
こうなると歌舞伎とか古典の演目か、いろんな作品に出てくる実在の歴史上の人物か。
うーん。考えるほどわからなくなる。
逆を考えてみたの。
金田一耕助の方が自分を演じてくれる役者を貪欲に探しているのかも。
小説の中の世界から現実の世界に度々来たがるのかも。
そして、加藤シゲアキという役者を見つけて、この人だって決めたのかも。
私は、金田一耕助シリーズが一番ヒットしたのは昭和50年代だと思っています。
それから長い時間が経ちますが、何度も何度も映像化される金田一耕助の魅力ってなんだろう。正直よくわからない。小説の舞台は昭和20年代でしたっけ? もちろん私は生まれていないので呪われた村とか、一族とかもあんまりピンとこない。でも、見えない何かってあるんだなと感じることはある。霊感ではないです。その土地に眠るものがあって、それを文明の利器で見た目まっさらにしても消せないもの、みたいな感じ。都会から田舎に引っ越したので、よりそんなイメージが私の中にあります。
舞台は昭和20年代でも、ヒットした昭和50年代の映像が原点のようになっています。その時代の作品、フィルムの質感で重厚に見えるんですよね。今のクリアな映像でどう表現するか。去年はドローンの映像がありましたね。今年はロケのこだわりで雰囲気を醸し出すのかな。
たった一夜のこの作品をさあ、味わい尽くしましょう。
原作 横溝正史
主演 加藤シゲアキ