緑色のumbrella

NEWSに出逢えてよかった

畑と、海と、島と、舟と……親バカの話

 長くなってしまいました。もう、沈静化している話なので、無理に読まなくてもいいです。自分が、落ち込んだままだったので、ほぼ、自分の為に書きました。

 

 

 

 例の文学賞の騒動で、いろんな人が傷ついた。私も悲しかったけど、傷つける側でもあった。

 クラウドの更新があるとは…。本人に知られたくなかった。というか、ご本人が楽しみにしていた場所だったんですね。

 

 翌日に、また全然関係ないクラウドの更新があって、そういう優しさも感じる。でも普段更新できない位忙しくて、今だってそれは同じだろうに、気を使わせてしまっているようで、何だかなぁ…。素直に喜べない。

 

 騒動の始まりから、一週間近く経って、とても大きな嬉しいお知らせまであった。あんなに楽しみに待っていたお知らせだった。なのに今だに落ち込んでいるのは、誰が悪いとか、何が原因とかではなく、もう自分自身の問題。ここから抜け出すには、自分の力でないと、ダメなんだな。

 

 私も、本は好き。でも、その度合いが全然違う場所に土足で入ってしまった。それが、そもそもいけなかった。確かに、Twitterで投票を広く呼びかけているし、ルールは間違えていない。でも、どうやら、世界が違った。

 

 読書って、本来、自分と本の1対1の関係。その付き合い方は、自由。それについて、指図されたり、非難されたりするいわれは、何もない。ひとりきりでいるなら。

 

 うちの県でも、朝活を利用したり、大学の先生が一般向けに定期的にイベントを開催したり、読書好きな人たちの集まりがある。興味はあるけど、行ったことはない。面白そうだけど、二の足を踏んでいる。今回この、二の足を踏む、が発動できていればなぁ。ここ、自分の来る場所じゃないって、先に気がついたのに。

 

 Twitterだから、気軽に出来る、が裏目にでてしまった。入っていく緊張感が足りなかった。

 

 投票はしていないんです。それはただ単に、明日出来ることは今日しない、というずぼらな性格のせいで…。騒動になったので、止めただけ。運営側に物理的な迷惑はかけないで済みました。でも投票しようとしていた時点で、やはり当事者です。

 

 変な話、ひとりでこっそり入って行けば、行けたかもしれない。でも、結果、数の圧があったからなあ。おそらく。

 私は、例の賞の紹介のツイートは見たけど、票を入れて1位にしましょう、というツイートは見ていない。本当にあったのか、どのくらい拡散されたのか、知らない。中には、本を読んでいないけど入れたとか、本当にいたのかな。

 いた、として、その人の票も、考えて入れた人の票も、受け入れる相手からは、同じ印象しか持たれない。

 

 あと、組織票をあおるつもりが全く無くても、NEWSファンの中でこの賞の存在が広まれば、選択肢はそれほど無い。

 投票するか、しないか。

 投票するなら、どの作品か。

 加藤シゲアキか、他の作家の作品か。

 加藤シゲアキ作品にするとしたら…こうなったら、該当作は、「チュベローズで待ってる」しかない。向こうから見たら、組織票に見えるのは、仕方なかったのかも。悔しいけどね。

 

 票を入れようと思ったのは、やはり面白い作品だったから。純粋にそれだけで、私の票で1位になって欲しい、とかは浮かばなかった。

 

 作品に対しては、そう思う。

 

 ただ、私は、アイドル・加藤シゲアキと、作家・加藤シゲアキを分けて考えることが多分出来ない。作品に対しては、切り離して考えられるけれど、アイドルと作家の両立はおそらく加藤さんの生き方で、それを含めて心を動かされてファンになった。そこに線は引けない。

 

 だから、クラウドの言葉をのむと、私の場合は、票を入れてはいけなかった。結果、入れていないけど、それはただの結果だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本当に、ここから先、自分の為だけに書いたので、家族の話しか出てきません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何か、だんだん病んでいきそうなので、角度を変えます。

 騒動が始まった日の夜中に、つぶやいたことを書きます。

 

 先程書きましたが、本は、子どもの頃から好きでした。

 良く読んでいたのは、世界名作全集みたいなの。若草物語赤毛のアンシリーズ、母を訪ねて三千里、あしながおじさん、小公女、小公子、そして、アルプスの少女ハイジなど。だいたい年齢層近い方は分かると思うんですけど、名作アニメの原作ですね。当時は、今みたくビデオなんて無いし、好きなシーンを振り返りたければ、「本を読む」一択ですもん。中でも「若草物語」が大好きでした。何度も読み返しました。

 

 中高生あたりで、角川映画ブームがきます。最初は、横溝正史やら、森村誠一とか大人の作品。その後、角川三人娘の活躍で自分と同世代向けの作品が注目されます。人が殺される話が苦手な私は、ジュブナイルSFの方向に行きました。眉村卓筒井康隆星新一、ときて、新井素子に行ってコバルト方向に入りました。

 だいたい、この辺で分かると思うんですけど、私の読書歴は、軽いです。読みやすいものばかりです。高尚なものは、ございません💦 

 

 20才位の時に、(今、振り返れば)ちょっとした挫折をして、迷っていた頃出逢ったのが、宮本輝さんの「錦繍」でした。往復書簡の形式で書かれたこの小説は、読み進めるうちに、本当の手紙を読んでいるような気持ちになりました。何故、この手紙を読んでいるんだろう、絵に描いたような幸せになれる訳がないのに、と思いながら読み進めました。絶望的な暗さで始まった(でも、情景が実に美しい)この物語は、いつの間にか雨があがって陽が射していたような感覚で終わります。

 

 自分の心に降っていた雨も流してくれたようでした。

 

 先程書いたように、それほど難しい本を読んではいませんが、この本に出会わせてくれた、本の神様に感謝しました。

 

 本との出逢いも、また、出逢いです。真摯に本に対していたら、本の神様は必要なときに必要な出逢いをくれるんじゃないか、と思いました。人から見たら、バカバカしいと思われるだろう。それでも、いい。今でもどこかで、そう思っています。

 

 あと、私は小説だけではなく、現代詩も好きです。たいてい、難しくて、ちんぷんかんぷんなんですけど。たまに、その時の気持ちにぴったりの作品に出会えると、それを、大切にしたいと思います。

 

 現実の中では、ときに、やりきれないこと、自分ではどうすることも出来ない、そんな事がおきます。

 

 人によってその乗り越え方は、それぞれだと思う。無心でスポーツに打ち込むとか、音楽を聞くとか、絵画を描くとか…、私の場合は、本を読むことなんだな、と思った。ま、本の質までは、問わないで😱

 

 

 上の子が赤ちゃんのとき、読書から一旦離れます。読めないイライラを子どもにぶつけたくなかったんですよ。我慢した、のではなく自分の為でした。

 

 それが、離れたはずの本に、また新しく出会います。絵本の読み聞かせです。子どもの幼稚園の親子読書会で、参加し始めて2,3カ月経った頃、あるお母さんが読んで下さった「おおかみと七ひきのこやぎ」(絵 ホフマン)。聞きながら、完全に物語の中に入っていました。グリム童話ですよ。有名で、あらすじだって普通に言えるのに、聞きいっていました。子どもの頃、読み聞かせなんてされたことない私には、新鮮でした。

 またありがたいことに、この読書会は、聞くだけの参加もOKでした。読み手をすると、そこにどうしても気をとられます。それが無くて済んだので、子どもの頃経験しなかった読んでもらう楽しさ、を存分に味わいました。話が、それるけれど、月一回で、すばなし(おはなしのろうそく)を語ってくれるお母さんもいて、それも楽しみだったなぁ。贅沢な時間でした。

 

 小学校へ進むと、そこから読み手でも参加するようになりました。で、いろいろ勉強するようになります。松岡享子さんの本をテキストにして、意見を言い合ったり、いろんなシンポジウムに参加したり。

 

 絵本から、児童書へ。課題の一つでした。

 

 児童書なら、絵本と違って、読んできたぞ、と最初は思ったんですよ。小さいながらも、コツコツ畑を耕してきたぞ、と。

 

 それが、まあ、びっくりするほど知らなかった。例を上げれば、リンドグレーンとか、ケストナーとか、ドリトル先生も。逆に、よく、読んでるつもりでいたね。岩波書店の少年文庫は、ほぼ全滅。そう、星の王子さまも読んでなかった。

 

 畑じゃないじゃん。

 まわり、ひっろーい海じゃん。

 自分がいたの、ちっちゃい、ちっちゃい島じゃん…。

 

 読んでいない児童書にチャレンジしてみたけれど、うまく入ってこないのね。もう大人だから。子どもの感性を持っていないから。

 

 シンポジウムで、「成長に応じて、本に出会わせてあげましょう」なんて言われると、うわー、ってなった。自分が出来ていないことを子どもに出来る訳がない。結果、子どもは2人とも、読み聞かせは好きだけど、たいして本を読まないという学生になりました。下の子に至っては、「俺、小さい頃絵本、いっぱい読んだから、もう本読まなくていいわ。」と言い出す始末。

 

 あっかーん。

 

 まあ、でも、本を読む、読まないは、本人の自由だしなあ。押し付けられるのは、一番嫌だろうし。

 

 あと、自分のことだけれど、子どもの頃読んでいない、取りこぼした本がいっぱいあった。それらの本を読んでいたら、楽しかったかもしれない、とは思う。でももしも誰かに、「あなた、子どもの頃、たくさん本が読めなくてかわいそうだったわね。」なんて言われたら(そんなこと言う人いないけど)、絶対反論する。同じ本を何度も繰り返し読むのは、充実していた時間だったと。

 

 現在、上の子は、県外でひとり暮らし。家を出るときは、二次元好きだったのに、今はお笑い好き。桐山漣のファンがトットさんのファンになっていた。(何で?、と思ったけど、母ちゃんがNEWSのファンになってた方が衝撃だわな)

 トットさん(彼女は必ずさん付けで呼ぶので)の名前の由来が、「窓際のトットちゃん」と知って、去年帰省した時、本を買って読んでました。ミーハー心が読書に結びつく、親に似たタイプになりました。(全然関係ないけど、おととしの暮れあたりに、シゲ部でトットさんの名前が出たことを調べ上げて、加藤シゲアキさんって、お笑い詳しいんだね、と感激していました)

 

 下の子は、ユニーク。私にはない感性を持ってる。

 例えば、夏休みの図工の宿題で、美術館へ行く、というのがあります。嫌がるのを引っ張って連れて行きます。(宿題だし)

 すると、たくさん展示してある作品の中から、お気に入りを見つけ出す。そこから、動かない。他の作品は、見ないの。

 水族館でもそう。ほぼ動かず、じーっと見てます。(あ、ちなみにこの水族館は、変ラボでイルカの母乳を提供したところです)

 

 小さい子どもに読み聞かせをすると、字がまだ読めないのに、お母さんの読んだ通りにちゃんと覚えている、なんて話がありますが、まさにそういう子でした。もう高校生ですが、どこかにまだその名残を感じます。姉が演劇部の時、一緒に見に行くと、重要度が低い繋ぎのシーンまで、わりと正確に覚えていました。

  私の見立てだから、合っているかわからないけれど、彼は咀嚼をしていません、おそらく。普通、本を読んだりするとき、自分なりに噛み砕いて、ところどころは流して、自分の感想を載せて記憶のフォルダにしまいます。でも彼は、固いままバリバリ食べているみたい。

 彼の今の、というか、小学生からの愛読書は、「はたしのゲン」で、いろんなことをきちんと順番通りに覚えています。

 

 彼のような子どもに、「いっぱい本をよみましょう」、なんて不要なんです。大切な一冊が重要なんです。もちろん、まだ成長の途中だから、変わってゆくかもしれません。必要となれば、自分から、本を選ぶでしょう。

 

 で、現在の私ですが。読みたい気持ちはあるけれど、本当に体力の低下を感じる💦  疲れて帰ってきて、コロッと寝てる。

 まあ、でも、加藤さんきっかけで、加藤さんの著作だけでなく、「グリーンマイル」、「嫌われる勇気」、燃え殻さんの本とか、読むきっかけをもらったし。

 

 広い広い海に飛び込んで泳ぐ勇気はさすがにありませんが、小さなひとり乗りの舟を漕いでいけたらなぁ、と思っております…。

 

 

 …なんか上手いこと言って終わろうと思ったけど、全然うまくねーわ。

 

これで、 落ち込むの⤵⤵ おしまい⤴⤴